2011年2月、AKB48とのアイドル戦争に敗れデブパレードを解散させたワシは傷心の一人旅にでも出ようかとぼんやり考えとった。
自転車にギターとキャンプ道具を積んで東北沿岸部を旅をしようと思った矢先に起こった東日本大震災。
デブパレードをやめた直後で心にポッカり穴があいたままだったワシは物資とギターを背負ってすぐに東北に向かった。
そこで出会った人たちの多くが、デブパレードのバッチコイを知ってくれとったり、ハンサム兄弟メードインジャパンをゲームセンターで楽しんでくれとったことを知り、こんな自分でも唄うことで誰かの力になれることを改めて実感させてもらった。
東京と東北を往復しながら精力的に唄い続け、ウクレレ大使として震災から3年以上経っても被災地で頻繁に唄う機会をもらえたり、突然ラーメン屋を始めたりと震災前とはまるで違う活動にそれなりに満足しとった。
でも震災で多くを失ってもなお、前を向いて新たな夢を抱いて歩き始めとる人たちと間近で接するうちに、自分もバンドマンとしてもう一度でかい夢を見たいと思うようになった。
でもその頃、ハンサム兄弟はメンバー各自がいろいろと忙しく直ちに精力的に動ける状態ではなかった。
そんなモヤモヤしとった時、敬愛するガーリックボーイズ兄さんが活動休止すると聞き、いてもたっても居られんようになった。
「バンドっていつまでもやれる訳じゃない、、、」という現実を初めて突きつけられたワシは、もう一度いちからバンドを始めることを決意し、YouMayDreamを書き上げた。

「新しくバンドやるならやっぱあいつの規格外にデカいドラムで唄いたい」との思いが抑えきれず久々にTAHにメシでも食おうと電話した。
デブパレード解散から3年8ヶ月ぶりに再会したTAHは想定しとった以上にビッグダディーになっとった。
同級生であり、お互いボーカルとして、ドラマーとして規格外なプレイスタイルを持つ二人のおっさんが、あと数十年の短い旅ならば間近で意地を張り合い続けたいと再びバンドを組むことを決意。

その年の始めにサイクロンで出会ったpocketlifeの安西が、「ハンサムとかGQとかよく観てたんです。判治さんと何か一緒にやりたいっす」って言っとったのを思い出して勝手にメンバーに加えた。
安西から「最高なギターがいますよ」と大阪から上京したばかりのNEKOZEという謎のギタリストを紹介された。
ワシとTAHに加えて安西までもが100キロオーバー。。。
このままじゃデブパレードの再来だでマズイぞ、と密かに危惧しとったワシは痩せとるギターなら誰でもオッケーってことで、とりあえずスタジオに入ることにした。

スタジオで初めて会ったNEKOZEは理想的な体型とメガネだった。
久々に間近で喰らったTAHの爆音ドラムで耳はやられ、ハートに火を点けられた。
そう、この圧力が欲しかったんよ。

ただ痩せとるってだけでスタジオに入ることを決めた謎のギタリストNEKOZEがまさかの大フィーバー。
ワシが今まで出会ったギタリストの中でも最高レベルの変態の上にグルーブもテンションもテクニックも最高で1発で魅了された。
安西のパンクで荒削りな重低音ベースも今まで一緒にやったことがないタイプで刺激を受けまくった。

ツェッペリンとかクイーンとかを遊びでジャムるだけのつもりが、メンツがオモロすぎて本気になった。

最初のスタジオ終了後、誰からとなくまたスタジオに入ろうという話になり、その場で次回のスタジオを予約。
2回目のスタジオでは震災後に作ったオリジナル曲を中心にセッション。
「あかさたな」をこのメンバーで初めて合わせてギターソロから大サビに入る瞬間に思わず涙がチョチョ切れた。
そのスタジオ終了後、軽い感じで「ライブやろーぜ」って提案したら全員すんなり受け入れてくれて1ヶ月後に初ライブが決まった。
実はその日、家に帰って缶ビールを飲みながら泣いた。
やっぱバンドがやりたくて仕方なかったんよな。
いくらソロで評価されようが、それだけじゃ満足できん。
またバンドマンとして本気で勝負できると思えるメンバーに巡り会えた事が本気で嬉しかった。

バンド名をどうするか悩んだ末にTAHの助言もあって「HANZI BAND」に決めた。
19歳の時、いきなりバンドを始めようと思ったきっかけになったバンドが「ROLLINS BAND」だった事も影響しとるんかもな。
ワシのソロバンドだと誤解されたら嫌だなって心配もあったけど、ライブ見せればそんな誤解なんかぶっ飛ばせる。
メンバー全員がせめぎ合って化学反応を起こせるHANZI BANDは間違いなく本物の「バンド」だ。

そして初スタジオから1ヶ月半で決行した初ライブは大成功。
おっさんなのに朝までメンバーと飲んだ。
始発まで安い酒場でダラダラ飲むという若手バンドマンのような打ち上げが嬉しかった。

体は重いがフットワークは軽い安西から「すぐにでもレコーディングしないっすか?」と言われてハッとした。
若手二人がやる気になっとる事が嬉しかったし、ワシ以外からバンドを前に進めるアイディアが出てくる事が心強かった。


初スタジオから2ヶ月で初のレコーディングを決行。
このメンバーでやりたいって思わせてくれた「あかさたな」と、このバンドをやろうなんて思いもしとらんかった時期に何故かTAHのリズムを意識して作曲した「砂の時計」、そして弦楽器二人が持ってきてくれたリフを悪ノリして一気に完成させた「HANZI BANDのテーマ」の3曲を1日で一気にレコーディング。

ドラムとベースはもちろん、ギターまでも一切重ねなし!
ボーカルもほぼ1発ツモ!
そんな最高にロックな初音源が完成。
マジで、最近のロックバンドはギターとか声とか重ねすぎだ。
音なんか重ねれば重ねるほど魂が埋もれてくんよ。

初音源のタイトルを「サンキュージャパン!!!」にした。
実はTAHとまたバンドをやろうと思った時に「来日するビッグアーティストをパロったバンド」を遊びでやるつもりだったんよ。
そんでベタなリフの壮大な曲を1曲やるたびに「サンキュージャパン!!!」っていちいち叫んで大げさにステージを去るというテキトーな構想のバンド。
そこからNEKOZE、安西といった若く才能あふれるメンバーに恵まれて本気の「バンド」としてのHANZI BANDに発展したもんで、初音源のタイトルはこれに決めた。

アメリカで生まれたロックという幻想に憧れて日本人なのにロックバンドをやっとるという矛盾と葛藤。
日本人として日本が大好きなのは当然。
でも最近の日本は自分の思う方向と違う方向に行きがちだったり、日本の音楽シーンもなんか残念すぎる。
そんな複雑な思いを込めたサンキュージャパン!!!って訳。

そんな思いを胸に新人バンドとしてライブを重ね、2015年9月、HANZI BAND 1stアルバムをレコーディング。

ベテランバンドマンとしての経験と意地に加え、新人バンドとしての若さと勢いまでも併せ持つ最高にロックすぎるこれぞ理想のデビューアルバムがここに誕生!

横綱の体重にも耐えられるぐらい強靭なゴム=バンドがあったらオモロイけどやっぱアブナイって意味と、たとえバンド界の横綱になったとしても調子こいてバンジージャンプしちゃうようなマインドは持ち続けたいという思いも込めて「横綱バンジージャンプ」と命名!


さあ、準備は整った。
規格外の大型新人、HANZI BANDの大航海の幕開けだ。
ロックとは初期衝動を爆発させること。
それを証明するためにHANZI BANDは今日もステージに立つ。


バンドマンっつうアホな生きもんは自分が世界で一番だと思っとるんよ。
人から見たら「いい歳こいて妄想かよ」って笑われるかもしれんけど、そんな愛すべき妄想を暴走させることでバンドという不思議な生き物を生み出し突き動かしとる。
HANZI BANDはまさにワシらの妄想暴走そのもんなんよ。


2015年11月 
HANZI BAND ボーカル ハンサム判治